【対談】お茶の水ナルオーナーと出演ミュージシャン



JAZZは、いつから始められたのですか?
父がミュージシャンでギターを弾いていたので、家にスタジオがあったんだよ。だから家にピアノやドラムなどの楽器がいっぱいあってね。それを触ったりしてたから、幼稚園ぐらいからかな。ドラムやったのもすぐに音が出たからね。それから毎日、毎日‥‥‥。うまくなりたかったというより、とても面白かった。
学生時代は?
高校生の時に「ドラムだけじゃだめだ。いろんな楽器やらなきゃ。」と思って、ピアノはもちろん、他にもいろいろやったな。自分でビブラホンも買ったし。高校卒業する時は、やっぱりJAZZをやりたかったから、迷わず本場のアメリカのバークレーに行く事に決めた。バークレーでは練習しまくり。それに本当にたくさんの有名なミュージシャンとセッションしたんだ。僕にとって本物に触れ、体験したことが一番ためになったと思うよ。
卒業後は?
ニューヨークでしばらく活動してから日本に帰った。当時、日本はバブル絶頂期でね、翌週には仕事があったくらいだからね。その後バークレーの仲間だったロイ・ハーグローブが日本人とセッションしたいといって、日本に来て、僕に声かけてくれたんだ。嬉しかったね。そのライブは今でも覚えてる。それからだね、日本でもたくさん仕事が出来るようになったのは。本当にラッキーだったと、今でも思うよ。
バブリーという言葉が出ましたが、バブリー時代の音楽シーンと、現在では違いはありますか?
うん、両方それぞれに良い面と、悪い面があるね。バブリーの時は若手にとって凄く良い時代だよね。仕事はいくらでもあったから。もちろん簡単にブッキングされるわけではないけどね。ベテラン勢がライブのスケジュールをキックして、他の仕事をする事もたびたびあった。その空いた仕事が若手に『トラ』としてまわるでしょ。若手にとって良い経験のできる仕事がたくさんくるでしょ。やっぱり人前で演奏するとしないでは、大きく違うからね。若手が成長できる時代だったんじゃないかな。
バブル崩壊後は?
JAZZクラブとかライブハウスが減ってしまったから、ミュージシャンが演奏できる環境が限られてくるでしょ。だからベテランもみんな必死だよ。生き残りをかけて本格化したんだよ。音楽の質も、当然上がるけど逆にだんだん若手の演奏するチャンスが減ってくる。本当に必死に「上手になりたい」と思わないと育たないよね。
自分で若手を育ててやる!!とは思わないですか?
ところで、みんな知らないかもしれないけど、今でこそどこでもやっている若手のジャムセッション。あれはね、NARUが日本で先駆け、と云っていいんだよ。
どういうことですか?
僕がニューヨークにレコーディングで戻った時、有能な若手がプロに混じって懸命に演奏している。プロと同じ場所で同じ空気を吸って。とてもいいなぁと思ったね。それでNARUのオーナーに話したら彼もそのことを考えていたようで、二つ返事で「やろう!」。とても頼もしかったね。今では有名な太田剣や塩田哲嗣など、NARUのジャムセッションをステップにして育っていったんだ。それで今でも休日ジャムがNARUでは続いているんだ。
新人発掘や、若手を育てるという事は、今はさほどに思わないね。若手に「こうやりなさい」とかは言わない。例えば自分の『ファッション』を真似しろと言ったって、誰もしないでしょ。30代と10代のファッションは違って当然だし。自分のファッションが、かっこいいと言ってくれる人にだけ教えるね。
ファッションの良し悪しとは?
品性とバランスだね。音楽には品がないと。それにいいと感じた音楽に飛びつき、自分のものにしたいという瞬発力だね。そうしたすべての内面が外見の人間性となって表れる。会話でもそう。話すテンポがゆっくりすぎたり、早すぎたり。自分のことばかり話したり、相手の話しを聞かなかったり。そんなのって品が良くないね。それに話しをしているのに急に割って入ってくる。そんなのルール違反だよね。話すって本当に難しいよね。言葉で自分を表すことでしょ。難しい言葉だと飽きられてしまうし、簡単な単語で話しても、幼稚だと思われる。早く話しても、遅く話してもいけないし。会話にはサプライズも必要だよね。そういうのが人を引き付けるんだ。すべてはそういったものの『バランス』じゃない?100%じゃないけど、僕はそう思うよ。基本は人柄かなってね。
■大坂昌彦オフィシャルサイト⇒ http://www.masahiko-osaka.com/

■NARUのゴールデンウィーク、大坂昌彦(ds) 5days!!(5/1〜/5)
■ 出演ミュージシャンとの対談:vol 1.大坂昌彦との対談 / vol 2.石崎忍との対談
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